最先端の哲学 29
支離滅裂、論理迷走の感は免れないですが、結論としては「精神活動」を「インプット、アウトプット」と考えます。
外から入って来る情報がインプットで、それを過去の蓄積された記憶によって、アウトプットとして外部へ情報発信されます。
つまりインプットとアウトプットの折り返し地点(過去の記憶として
蓄積された情報)が自分自身なのではないかと思います。
では「感情」はどういう役割を持っているのかと言いますと、アウトプットとして外部へ発信(動作、言葉、表現、思考など)の際の原動力となるのではないでしょうか?
すなわち感情的記憶の発生がアウトプットとしての「一つのライン」を選択しているのではないでしょうか。
その意味で我々のアウトプット(思考、決定、行動、言動)は感情的記憶の爆発により、後押しされているのかもしれません。
感情によって、後押しされる(選択される)アウトプットのラインは現時点ではただ一っです。
たとえばある思考をアウトプットとして作り上げるとすると、その結果作り上げられた思考は、今度はインプットとして外からの情報となります。
再び話が横道にそれますが、我々は頭の中にある情景、景色を思い浮かべることができます。
それらはたいてい鮮明な姿ではありませんけれど、おぼろげながら全体像を理解します。
そしてその全体像が今度はインプットとして脳の中に入ってきます。
そしてそれは真っ直ぐ進んで折り返し地点(あなた自身そのもの)にぶっかると、感情が作られその感情の爆発によって、次のアウトプットを作り上げます。
そのため頭の中で作られるおぼろげな映像(アウトプット)がもし不幸なものであれば、ストレスが発生するでしょう。
これは折り返し地点の過去の記憶の蓄積が+<-の状態とおなじです。
それでは記憶の蓄積が+(プラス)ということはどういうことでしょう。
当然それはその人にとって好ましい感情でしょう。
結論から言うと、ズバリ笑うということでしょう、
近年は笑いに対する評価を否定する人はいないと思います。
また脱線しますが、神様は人間に強力な武器を与えられたのです。
それが「笑い」です。