最先端の哲学 No26
このブログで言うところの価値とは「+」「-」と言う二つの表現です。
しかもこれは感情的価値です。
つまり喜怒哀楽の喜と楽を「「+」、怒と哀を「-」というように分類します。
論理的価値(哲学、思想)などは問題にしません。
今日世界にはいくつもの宗教が存在して、その宗教理論(教義)はそれぞれ異なります。
これらの宗教理論(宗教に限らず人間一人一人の思考)の基礎部分が、このブログの理論に相当すると思います。
ゆえにもし近い将来宗教が統一するようなことがあれば、このブログの理論が「共通項」となりえると思います。(素人はこれだから恐ろしい)
大言壮語もここまでくると開いた口が塞がりませんが、永遠の問題として「この世に神はいるのか?」というのがありますが、答えはこうです。(素人の答えです。)
「この世に神などいない、なぜならもしこの世に神がいるとするならば、もはやそれは神ではないからです。すなわちこの世に神はいないからこそ、神は存在するのです。」
(馬鹿と素人ほど怖いものは居ません)
世の中の「よくわからないもの」「不可能なもの」「科学で解明できないもの」の
総元締めは神様と思います。
皆様も経験されたと思いますが、宇宙の先はどうなっているのだろう?
物体をどんどん切断していったらどこまで行くのだろう?などと空想しますが、後者の答えは素粒子だそうですが、何故こういう疑問が湧いてくるのかと言えば、脳の構造がそのようになつているからです。
つまりこれは車のタイヤがぬかるみにはまつて空転しているのと同じことなのです。
脳の中で空転しているからです。(素人は本当に気楽でいいですね)
この世の混乱の原因は、論理的思考によって矛盾(ストレス)を解決しようという姿勢にあると思います。
すなわち論理的思考を解決手段にしようとするのは「マフィヤとのトラブルの解決を別のマフィヤに頼むことであり、血で血を洗う行為と同じだと思います。
頭の問題(ストレス)を頭で解決しようとするからおかしくなるのです;
頭が先で、感情が後ではなく、感情が先で、頭はその後です、(ジェームスランゲの仮説)
感情が人間の全ての表現方法の後押しをしているのです。
そしてそれらは全て非感情的記憶、感情的記憶として頭の中に蓄積されます。
前者は人間が何かに集中した時の論理的記憶です。
人間が悩むのは非論理的思考を行っているからです。
つまり感情が非論理的思考を後押ししているのです、
そこで頭の中の感情の蓄積を二っに分けます。
プラスの感情とマイナスの感情と言う二っの感情の記憶の蓄積にわけます。
多分ストレスを強く感じている人は プラス<マイナスという状態であり、その反対は
プラス>マイナスの状態となります。