最先端の哲学 28
笑いをジェームスランゲ的に表現するとどうなるでしょう。
「おかしいから笑うのではなく、笑うからおかしいのだ。」
ということになります。(冗談で言っているのではなく素人的に極めて真剣です。)
この場合のインプットは「笑い」であり、それを生じさせているのは顔の筋肉の骨格筋に相当するでしょう。
この骨格筋がイクオール「涙腺」であり、「顔の筋肉」がプラスの記憶、「涙腺」がマイナスの記憶を発生させることになります。
もうお判りでしょう。
プラスの記憶の蓄積を増大(ストレスの減少)させるためには顔の筋肉を意識して使えば良いことになります。
これはよく「形から入る」という考え方とおなじです。
No27で頭の中の+と-の記憶の蓄積を+>-の状態にすれば、少なくともストレスは軽減されるといいました。
なぜなら現時点の自分は常に未来を予測し、その根拠となるのは過去の記憶の蓄積の
+>-にあるからです
なぜかと言うとその+>-においてしか、未来を自分に説明することはできないからです。
その+>-
でその人の未来を予測する、まさにその時、それ以外の「こころの働き」はなにもありません。
話はだいぶそれますが、私の知る限り、No1の哲学者はデカルトだと思います。
別に彼の著作を読んだわけではありませんが、彼の有名な言葉である「我思うに
、故に我あり」これこそ「心の働き」の本質をつく言葉であり、まさに日本刀の切れ味そのものです。
しかも、その切断面は少しも荒らされておらず、一本の断面が残っているだけでそれが「我思う」になります。
ここには二本の断面は残りません。
だからこそ「我思う、ゆえに我あり」なのだと思います。
これが私というものの本質です。
そしてまさしく、この本質で本質を否定するのは不可能です。
ゆえに否定できない以上「我あり」となるのだとおもいます。
何だか話が混乱してダッチロール気味になってしまいましたが、もしまだ熱心に読んでいる方がおられましたらお許しください。