最先端の哲学 No25

前回の「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」はどういうことかと言うと、最初の「悲しい」とは脳が悲しいと認識したから目の涙腺に命令して涙を流させたという意味で、「脳」が先でそのあとに泣く(涙)が来るという誰でも当然に考えるパターンですが、そうではなく涙腺で涙が流れてその情報が脳にフイードバックされて、初めて脳は今は悲しいのだと認識するため脳全体が悲しみのモードになります。

つまり涙腺が先でその後に脳が来るのが本当であると言っているのです。

脳が人間の体の支配者であるとすれば、これが本当なら由々しき大問題になります。

なぜならほんのわずかな時間とわいえ、体の一部である涙腺から脳へ「涙が流れたという情報」がフィードバックされる間、支配者としての脳は完全な積んぼ桟敷にされたことになるのです。

つまり脳が認識するにはタイムラグが存在するのです。

インプット(外からの情報)の着地点体の一部(涙腺)、そして次に脳となるのです。

同時にこの時点では脳に今まで蓄積された記憶は最新のものではなくなります。

このもう最新でなくなった蓄積された過去の記憶を呼び起こして、現時点では存在まだ存在しない未来を自分に説明するのです。

これがこころの働きになります。

よく運命論という表現があります。

つまり何事もそうするように運命ずけられているというもので、それに従えばこのブログもそうなるように運命ずけられていることになります。

これの反対概念が自由意思になります、

これは全ての決定は脳が完全に独立して行っているというわけです。

これは悪魔でも体の支配者たる脳が、外から入って来る情報に対して完全に独立した反応をするということです。

常識的にはそうですが、最初のほうで述べた「タイムラグ=脳が積んぼ桟敷におかれる時間」が使えるとすると、少なくとも脳は受け身的な決定にならざるを得ないわけで、そうなると脳は自分自身ではなく自分以外の要因によって決定することになり、とても自由意思ではなく運命論的にならざるを得ません。

となると私の独自の意思で意見を言っても「タイムラグ」のせいでその意見は別のものに言わされていることになり、その意見を言った本人はこれは自分の考えで述べたのだ

と完全に信じ切っているのです。