最新の哲学 No 23

今まで何度もい言ってきた「現在」というものの「時間」はどれくらいかという問題ですが、我々が「現在」を意識する時間は「秒、分、」ぐらいではないでしょうか?

こういうのは自然科学の出番だと思います。

外からの情報が脳に入ってきて、その反応が再び外へ出ていく間の「時間」を測定すればよいのです。

しかし人文科学は違います。

自然科学の基本が数字なら人文科学のそれは「価値」となります。

そのためその人、その人の価値は異なりますので、すべての人の「価値」は同じとは言えません。

たとえば一週間後にその人にとって重要な試験があるとすると、その時点から一

週刊後が現在(現在の連続)となります。

やがて未来の結果(試験の結果の判明)がわかります。

その時の試験に失敗して被るダメージが「3次的ストレス」になり、現在の連続である一週間という時間は自分の価値の結果を予測している(未来の結果はまだ来ていないから)のですが、その未来が「よくわからない」から疑心暗鬼になって予測(想像力)が拡大、膨張するため強い不安が発生するのです。

これが「2次的ストレス」になります。

以上で現在(精神的活動)の「真ん中」と「最後」を一応説明しました。

前者で発生するのが2次的ストレス(強い不安)であり、これは現実に発生して我々を苦しめています。

後者の3次的ストレス(感情)は何を予測するのかというと「未来の結果が悪かった時にこうむるかもしれないダメージ」が3次的ストレスであり、この3次的ストレスを拡大して予測する結果「二次的ストレス(強い不安)」が生じることになります。

ゆえに「2次的ストレス」は一足早い「3次的ストレス」の疑似体験なのです。

最後に単調にならないようにちよっと「ヒネリ」をいれてみました。

何だか論理的な説明力不足のため理解するのに苦労されていると思いますが、話しとしてはそこそこ面白いと思われませんか?

もしそう思われるとすれば、その期待に応える必要がありますのでここに私の連絡手段をダイレクトに書いておきます。(080-3224-7920)

「何のために?」

そりゃハンナ、アーレントさんが利用しやすいようにです。

いやはや返す言葉もありませんが、今度こそ超シンプルな方法で「ストレスを軽減することが出来る」ことをシンプルに説明したいと考えております。

 

 

最新の哲学 No 22

前回は想像力(非論理的思考)の膨張、拡大によって「ストレス(強い不安)が増大するから、その想像力を膨張、拡大させないようにすれば「ストレス」は軽減されると書きました。

それではその想像力(非論理的思考)をなくすためにはどうすれば良いか?

自分の感情を野放しにすることが一番いけないのです。

そこで、想像力の拡大の原因として「よくわからない」という考え方を取り入れました。

以上をまとめますと次の式が出来上がります。

「よくわからない」⇒「想像力の拡大」⇒「強い不安(ストレス)」

ここで自慢になりますが、人文科学(主に哲学)において「よくわからない」を問題にしているものは、私の貧弱な記憶では存在しません。

「よくわからない」とは「未来」のことです。

そんなことはどうでもよいのですが、次に我々の性格の分類について述べたいとおもいます。

ストレスに強い人と、弱い人がいますが、それぞれの性格はこの「未来の価値(全ての我々の問題は未来の問題だからです。)」によって全ての人のタイプを分類すべきです。

我々は我々自身の持つ未来の価値によって行動します。

だから当然ですが人それぞれ未来の価値はことなります。

たとえば宇宙の何臆光年先の星の新発見のニュースを聞いても誰もあまり関心を示さないでしょう。

なぜならそれだけでは、あなたの給料は上がらないからです。

このようにその人の持つ「未来の価値」によって人間の性格を区別していきたいと思います。

まずこのブログの理論では、「人間」と「環境」という分け方ではなく、

「脳(精神)」と「それ以外(環境)」という分け方になります。

すると人間の体そのものも環境になり、これを第一環境とします。

そして体以外の、今まで環境と言ってきたものを第二環境とします。(何だか会社の名前のようですが、)

極論しますとストレスに強い人(外向的、トラブルメーカー)の思考回路は「脳」と「第二環境」、反対にストレスに弱い人(内向的、自己攻撃型)の思考回路は「脳」と「第一環境」ということになります。

ストレスに弱い人は、前述した「よくわからない」が自分の体(第一環境)から発生しその中心に脳があります。

この狭いなかを神経の電気信号が何往復もするので「脳」と「体(第一環境)」が金属疲労を起こすのです。(人間の体は金属ではありませんが)

ところがストレスに強い人は「脳」と「自分の体の外側(第二環境)」というように、広い距離を神経の電気信号が往復するので脳へのダメージが少なく、ストレス(金属疲労)は生じにくくなります。

いままで書いた文章はまったく理解不能だと思いますが、ストレスに弱い人は、自分のコンデェションを整えるために力を使い果たすためにそれ自体がストレスとなるのに対して、ストレスに強い人は自分の体以外(第二環境)の「物」に対して執着が強いので、自分のコンデェションなど気にしないからストレスに強いことになります。

ストレスに弱い人の本質は大阪弁で言うところの「ええ格好し」であり、ストレスに強い人のそれは「トラブルメーカー」になるのです。

最初「ノーベル賞」というアドヴァルーンを挙げて、そのインパクトをモチベーションとして、最後まで読んでもらおうと思いましたが「わかりやすく説明」することが大変困難であると痛感しております、

話は脱線しますが、ノーベル賞には賞金があります。

どちらを選ぶかというと「自分に正直に」というモットーに従えば名誉<お金になります。(貧乏人だから仕方ありません。)

まあ冗談はこのくらいにして、このブログの本来の目的は当然人々のストレスを軽減することです。

特に外国人と交渉するビジネスマンは悪魔のような外国のビジネスマンから大きなストレスをこうむっています。

この時このブログの思考の流れを身につけておけば無意識にストレスが軽減できて、仕事の質も向上することと思います。

思考の問題を、思考で解決しようとするのは非常に非効率です。

話は再び横道にそれますが、もう一っの目的はこの理論の共同提案者を募集しているということです。

その可能性は限りなく少ないのですが、もし万一この理論が社会に認められた場合そのメリットは計り知れないものがあります。

もちろん条件は女性のみで、しかも、、、、、です。

具体的に申しますとハンナアーレントを第募集しております。

いやはや情けないの一言につきますが、しかし自分に正直になるのは美徳ですし第一精神衛生上極めて有効です。

また本論に戻ってこんどこそ超シンプルな説明を試みたいと思います。

 

 

 

 

最新の哲学No21

現在の中の未来は全て「過去の記憶を呼び起こして、現時点では存在しない未来を自分に説明する。」になります。

つまり、未来はまだやって来ていない(時間が経過していない)から、過去の記憶を呼び起こす事によって、未来を自分の中に描いているのです。

この描き方が過剰になることが「ストレス」と言うことも出来るのではないでしょうか?

すなわち「存在しない未来を自分に過剰に説明する」事が「ストレス」になるのです。

人はそれぞれその人自身の価値(未来の価値)を持っています。

その未来の価値がどうなるかを、つまり過去の記憶によって、自分自身に説明している(実感している)のです。

この実感が「ストレス」になります。

要するに「異常なこととして自分に過大に説明する」「オーバーに未来を予測する」

ことによって「ストレス」が増大するのです。

ゆえに「異常なこととして自分に説明する」を「普通に自分に説明する」

「未来を過大に予測する」を「普通に予測する」に変化させれば「ストレス」は軽減されることになります。

何をもって未来を予測するのかというと、それは「想像力」です。

現時点においては存在しない未来(よくわからない未来)ですから「想像力」という「非論理的思考」によってしか行われません。

「よくわからない未来」だからこそ疑心暗鬼になって想像力が悪い方向へ膨れ上がります。

そのため悪い方向へ膨れ上がった想像力が、マイナスの想像力の内容として脳に記憶されて蓄積されます。

そして次回再びこの蓄積された、膨れ上がったマイナスの想像力の内容の記憶が「現時点で存在しない未来」を再度自分に説明するために使用されます。

従ってこの「想像力」の「膨張、拡大」を消滅させれば「普通の想像力」となって、「ストレス」の軽減につながります。

このマイナスの想像力の膨張、拡大を消滅させるのは実は「簡単」なのです。

最新の哲学 No20

これまでの人文科学を見渡しても、時間を中心にした物はあまりないと思います。

時間と言っても「過去、現在、未来」という分類ですが、私の貧弱な記憶によるとカント、ハイデッカーくらいではないかと思います。

カントはイクオール哲学者と呼ばれるはどで、その人自身時計のような生活を送ったと何かでよみました。

でもあまり良く理解できませんでした。

次にハイデッカーの「存在と時間」ですが、この人は自分の美人の弟子とイチャイチャしながらこの本を書いたそうです。

(別に現場を見たわけではありませんが。)

私は本の内容よりそのこと自体に頭にきます。

本そのものは未完に終わっているようですが、当然ですといいたいです。

いやそれにしても自分の人間としての器の小ささに愕然とします。

(しかし自分に正直になるということは悪いことではないと思います。)

大変横道にそれましたが、このブログの理論の大前提は「げんざい(現時点)」です。

我々のすべての精神的現象はこの現時点で発生し、かつもっと重要なのは「現時点では未来は存在しない」という事実です。

現時点から時間が経過して、初めて未来がやってきます。

同じように現時点では「過去」も存在しません。

なぜならもう時間が経過してしまっているからです。

ちよっと難解になりましたが、未来についてはわかっていただけると思いますが、「過去」についてはですね、当たり前に考えても存在しません。

ただそれらの記憶が脳に蓄積されるだけです。

「過去」を考えるということは、そのこと自体「未来」であり言わば「未来」とは「過去と言う未来」に他なりません。

とにかく肝要なのは「現時点では未来は存在しない。」の一点であり、ここがスタートなのです。

最新の哲学 No19

 

なんだか迷子になった気分になってきましたので、もう一度この理論(想像力拡大の理論)を平易に分かりやすく説明すべく再トライしたいと思います。

私は皆さんから笑われても、ストレスの害を少しでも軽減しようと考えています。

特にナイーブな日本人ビジネスマンが鬼のような外国人ビジネスマンから被るストレスを少しでも軽減するためには、この理論は非常に有効です。

この世にあるストレスに関する「本」「考え方」は無数にありますが逆に軽減するどころか増大させるものばかりです。

一部を除いて。

その一部とは森田理論(療法)です。

興味のある方はお調べください。

なぜストレスは増大するのか?

これは簡単です。

ストレスについて頭で考えるからです。

この一点につきます。

先ほどの森田理論でさえこの傾向があると思います。

では頭を一切使うなということかと言うと、まあそこは程度問題で必要最小限度は使う必要はあるでしょう。

そのため私の理論(想像力拡大の理論)の文章は最小限度の用語しか使用しておりません。

言葉をたくさん使うということは、本質がその分だけボヤけてくることと同じだからです。

2回目のトライにあたっても1回目同様に「読んでみよう」と思わせるアドバルーンを打ち上げなければなりません。

そのアドバルーンが、今回は「ノーベル賞」です。

つまりこの理論は、ノーベル賞を取れる価値があるということです。

といっても、この分野のノーベル賞はありません。

大きなことを言うようですが人文科学もなめられたものです。(何だか自分が恐ろしくなってきました。)

事実上「文学賞」しかないわけですから。

その文学それ自体ノーベル賞の対象になるようなものではないと思います。

(これは私の独断です。)

なぜなら言葉を多くつかうほど、物(科学)に関しては正確になるけれども、非物質(精神)については

その本質がボヤけてしまうからです。

最新の哲学 No18

私は自分が一度書いた文章は読まない主義なので、当然脱線が多くなります。

たとえば、脳は人間の体にとって主役ではないと、つまり脇役だと散々言った手前、

少しは脳についての知識を得ようとしましたが無理でした。

しかしその中で面白いと思ったのが「視覚野」というものです。

あなたが見る対象(景色など)は、その「視覚野」で完成されるそうです。

これだけなら「ああ そうですか」になりますが、興味深いのはその頭の中での場所が一番後つまり後頭部にあることです。

我々の外部から入ってくる情報ですので、上下、左右などの調整をする必要があるとは思いますが何も後頭部まで延長する必要があるでしょうか?

私は素人ですので多少の飛躍は許されるとして、その人の見た光景が本当にそのまま実際にそこに存在するのか?

存在するからその人が光景として見えたのだと言われれば「なるほど」としか言いようがありませんが、視神経から入ってきた情報が途中でいろいろと脚色されて、一番後ろの「視覚野」で完成したのではないでしょうか?

人間の視神経に情報が入ってくる、その発信元は(光景の元は)「視覚野」で完成された映像と似ても似つかぬゾンビのような光景かもしれません。

(いやこれはちよっと言いすぎだと思いますが)

ここまで来たらついでに言いますが、人間は自分の真後ろは直接見ることは不可能です。首の骨を折る覚悟があるなら別でしょうが。

 

最新の哲学 No17

 

このブログの理論の大前提は「よくわからない」です。

不思議に思われる方もおられると思いますが、それは当然です。

あまりにも日常的に使用されるため哲学的理論のように重厚な大前提には似つかわしくないためです。

それに常識的には、その前に何らかの言葉があってこそ成立するのです。

たとえば、「あの箱の中には何が入っているのかわからない」

「明日の株価は、上がっているのか?さがつているのか?」

というように「箱」「株価」が「よくわからない」と続くのです。

当たり前ですが、「よくわからない」の前にくる言葉はすべて未来の事柄なのです。

ところが、この前につく未来の事柄(主語)を排して動詞である「をくわからない」だけを前提にしているのが、このブログの真骨頂なのです。

と言いますのは、これは人間の情報伝達の機能のみに特化した哲学だからです。

情報伝達の「情報の中身」は別に何でも構わないのです。

外側(人間の体以外)と内側(人間の頭)の接点を機械的に説明しようとするもので、

この点に関して言うと自然科学的アプローチだと言えないこともないわけで、この方法だと他の理論のように超難解な用語を使用する必要はなく、必要最小限度の用語で済むわけです。

このブログの理論(想像力拡大の理論)の中で使用されている言葉の種類が極端に少ないのもお分かりいただかるとおまいます。